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前回は、中国 清末の1899年、王懿栄(おう いえい)と劉鉄雲(りゅう てつうん)が「甲骨文字」発見し、その後、羅振玉(ら しんぎょく)や王国維(おう こくい)が「甲骨文字」の研究を続けました、というお話をお伝えしました。
     
そして、その研究の結果、甲骨文に出てくる王さまの名前は、前漢時代(紀元前206年~紀元後8年)の司馬遷(しば せん)が書いた、歴史書『史記』(紀元前97年完成)に出てくる殷(いん:王朝名 紀元前1700年ごろできたといわれていた)の歴代の王名と一致することがわかりました。
  
清末の頃、殷は伝説上の王朝で、『史記』に書かれている殷のあれやこれやはフィクションであると、現実的な人は思っていました。むかーしむかしのことで、殷が存在していたと皆が納得する証拠がなかったからです。しかし、甲骨が出土し、そこに書かれている文字を解読すると王さまの名前と行動が記されていたのです。そこで殷王朝の実在が証明されたのです。
ついでに、『史記』の記述の信憑性も証明されました。皆が「ないわー」と言っていたものがあったのです。当時の人はさぞかし興奮したことでしょう。
  
羅振玉によって甲骨の出土地が河南省安陽と確定されてから後、1928年に発掘が開始されます。
  
そして、ついに殷墟(いんきょ:殷の都の遺跡)が発掘されます。今日に至るまで何度も発掘され、たくさんの甲骨が出土しました。
(甲骨以外にも素敵なものがたくさん出土しました。)
  
出土したものでいろいろな人がいろいろな研究をしました。当時の社会制度や宗教、何を考えていたのかなどなど。その中に、もちろん文字の成り立ちの研究をする人もいました。漢字というものがどのように作られたかを研究するのです。
  
立命館大学の故 白川静先生も、甲骨文字を毎日毎日、写し取る作業を続けていました。

  
そして、その研究成果から、後漢の許慎による『説文解字』以来の、文字の成り立ちについての新説が世に広く知れられようになったのです。だいたい1900年ぶりの事でした。前々回に紹介した「王」や「玉」、そのほかの漢字の成り立ちは、皆、白川静説によっています。
もちろん、この新説がすべて正しいとは限りません。これから研究がさらに進むと、違う解釈も出てくるかもしれません。
     
「知識は、すべて疑うことから始まる。疑うことがなくては、本当の知識は得がたい。疑い始めると、すべてが疑問にみえる。それを一つずつ解き明かしてゆくところに、知的な世界が生まれる」と白川静先生もおっしゃっています。
いろいろなことに疑問を持つことが学問の始めなのです。今回の「おうへん、たまへん」に関する質問は、とても良い質問でした。また、不思議だなと感じたことがあれば質問してください。
  
  
それから、蛇足の宣伝ですが、
「立命館土曜講座」で6月は、「白川静先生の学問を顧みる―白川静先生の没後十周年を記念して―」という企画があります。興味を持たれた方は、無料ですので、是非、立命館大学 末川記念会館講義室に行ってみてください。6月11日と18日、土曜日午後2時~4時にあります。


2016年5月27日  2:24 PM |カテゴリー: 堀口

間食に寒食を完食する島田です(ネタギレ)  
   
   
 

勉強や仕事をしていると、口元が寂しくなりませんか。
そして、引き出しを開けると、魅惑の間食があり、デブまっしぐら……
にならないように、せめてもの抵抗を無意識のうちにしているのか、私が買う間食は偏っています。  
  
   
   
 
スルメ、シシャモ(の干物)、氷下魚(の干物…カチカチなので、鋸刃で切って食べます)、鮭とば(北海道名物)、帆立の貝柱(の干物……いいお出汁がとれます)、茎わかめ、煮干し(いい出汁がとれます)、タコ足の燻製、ビーフジャーキー、ポークジャーキー、せんじ肉(広島名物?のモツの干し肉)ドライ納豆、煎り豆、ドライフルーツ(甘いので、最近は食べていない)、ジャンボコーン。  
  
   
   

さて、これらの共通点は何でしょうか?

……間食というか、素材?

……素材というか、酒の肴(注:私はあまりお酒は飲みません)?

まあ、いろんな共通点があると思いますが、私の答えとしては、「硬い食べ物」。

ガシガシ噛んでいると、目が覚めるし、味も長持ち……ちょっと財布に痛いけど。  
   
   
   
  
  

夜の間食は控えたいけど、休日に勉強するときなどは、自分に合った乾物……もとい間食を見つけておきたいですね。  
   
    
   
  

追記
いつかは、干しシイタケ(キノコ検定持っていますからww)と、棒鱈(不可能かもしれないけど)に挑戦したい。


2016年5月25日  12:29 AM |カテゴリー: 島田

 こんにちは、今川です。今日は中学校で習う因数分解について書きます。

 因数分解は、数式の展開の後に学習するのですが、数式を展開の公式の形に戻すのに苦労する生徒もいます。

 例題で説明しましょう。
                       
 (1) A2+6 +9             
                     
 上の式は、A2+2×A ×3+32      
と変形できます。右の公式の形と比べてみると
                               (公式)
  A2+6 +9                      a2+2ab+b2
=( A+3)2・・・(答え)                 =(a+b)2
 
 (2) A2 -25               

 
 上の式は、 A2-52と変形にきづくことが
できればOKです。

   A2-25                       a2-b2
 =(A+5)(A-5)・・・(答え)            =(a+b) (a-b)

 (1)(2)のように公式の形と見比べて、同じ
形と見抜けるかがポイントです。

 
 さて、この因数分解の考え方を、日常の場面でどう活かすか、私なりの考えを伝えたいと思います。因数分解はあるカタマリを掛け算の形に分解します。このカタマリを仕事(課題)とすると、それをいくつかの工程に分けて、やるべきことを明確にして消化するという具合です。(←仕事=(工程A)×(工程B)×(工程C) )

 
 塾生のみなさんが宿題などで解く算数・数学の問題もやることを明確にしていくつかに分けていけば、あとは正確な計算です。(証明問題を除く)一問一問なんとなく答えを出すのではなく、問題のポイントを意識しながら解くと、同じタイプの難しい問題にも応用できますよ。


2016年5月21日  12:34 PM |カテゴリー: 今川

前回まで「王」と「玉」の形の違いについて、お知らせしてきました。今回は現在私たちが使っている漢字のご先祖である甲骨文字が発見された時のことと、その後の研究をお伝えしようと思います。

時は清末、1899年。日本では明治32年、日清戦争(1894)のころ。中国、清では戊戌の政変(1898)などの動乱のころに、甲骨文字が「発見」されます。
その顛末(てんまつ)を、世間では次のように伝えています。
           
                        
                            
著名な学者で、国子監祭酒(文部大臣ぐらいの役職)に就いていた
王懿栄(おう いえい)【島田先生曰く、”OH! Yeah!!” 】は、マラリアの持病があり、その薬として、高熱や下痢に効くとされてきた「竜骨」を薬屋から買いました。王懿栄の家の食客( 居候)の劉鉄雲(りゅう てつうん)とよくよく竜骨の表面を見てみると、何やら文字らしきものが書いてありました。二人はこれが金文(殷や周時代に青銅器の表面に鋳込まれた、あるいは刻まれた文字)よりも古い文字ではないかと考え、たくさんの文字が刻まれた骨を集め、研究を始めたのです。
    
       

と、いうのがよく知られているお話ですが、実際はもっとシンプルらしいです。
骨董品収集家でもあり、宋代に発見された金文の事もよく知っていた王懿栄が最初の発見者で、甲骨は骨董商から購入したと劉鉄雲が『鉄雲蔵亀』の中で書いています。王懿栄はその後(1900年)悲運の死を遂げていますし、真相は闇の中です。とにかく、1899年に、甲骨文字が発見され、1903年に劉鉄雲によって、『鉄雲蔵亀』が上梓され、甲骨と甲骨文(甲骨文字で書かれた文章)の事が広く知られるようになりました。しかし、『鉄雲蔵亀』に、甲骨の出土場所だと書かれている場所は実際とは違い、間違っています。つまり、その時はまだよくわかっていなかったのです。
             
            
             
その後、羅振玉(ら しんぎょく)や王国維(おう こくい)(どちらも著名な学者)が研究を進め、甲骨の出土地を河南省安陽と確定しました。二人は辛亥革命(1911年)のとき、日本に亡命しました。そして日本で甲骨文の研究を続けました。二人は京都に住んでいたので、甲骨文の話をしながら、皆さんが歩いている道を歩いていたかもしれません。二人はさらに研究を続けます。
       
             
研究結果については 、また次回。。。
「むずい」といわれていますが、もう少しご辛抱ください。


2016年5月20日  7:00 PM |カテゴリー: 堀口

ネタに困ったら、読書録をアップする島田です。  
  
   

3月
『戦後日本漢字史』…漢字全廃論がつぶれて本当に良かった。
『美しい盛り付けのアイデア』…大皿にどーん!という盛り付けを反省。
『基礎日本語文法』…授業にいきないかも。
『24週日本語文法ツアー』…授業にいきないかも。
『男、はじめて和服を着る』…よし、和服で授業をしよう。
『趣味の文具箱37』…万年筆が欲しくなる禁断の書。
『悪魔の辞典』…久々に大外れをひきました。アマゾンレビューとのギャップをどうとらえるか……。  
   
   
  

4月
『危険物取扱者丙種』…私はどこに行くんでしょう。
『部首のはなし2』…漢字は面白いですよ。
『魚の便利帳』…無性に刺身が食べたくなります。
『日本語について』…再読。やはり、大野先生の本は素晴らしい。
『イメージを読む 美術史入門』…これを読んだら美術館でウンチクをかましたくなる。  
  
   
  

うん、ちょいと読書量が少ないな。こりゃ、国語の先生として致命傷。  
  
   
  

なぜ、少ないかといえば、小説をほとんど読まないからでしょうね。  
小説を読まないのは嫌いだからではありません。むしろ大好きです。好きすぎて日常生活に支障が出るのです。  
   
   
  

私が小説にはまると……歯を磨きながら、読書。食事中も読書。料理(炒め物)しながら読書。トイレにこもって読書。入浴中も読書。就寝前も読書。読書するために自転車ではなくバス通勤にして移動中も読書。歩きながら読書(←これはダメ)。仕事の合間に読書(これはもっとダメ)。   
   
   
  

……ね?支障が出るでしょ?


2016年5月18日  12:25 AM |カテゴリー: 島田

月曜日担当の馬渕です。
 
突然ですが、算数が苦手な生徒にもいろいろなタイプがいます。
 
①そもそも問題が読めていないから解けない
②公式を覚えていない(覚える気が無い)から全くできない
③計算力不足で計算が合わないから答えを間違える
 
などなど……。
この中でも、算数科的に(というより教科に関わらず)厄介なのが①のタイプです。
なにせ、どれだけ計算力があろうと、どれだけ思考力があろうと、それ以前の段階でこけているわけですから。
 
では、なぜ問題が読めないかを考えると、理由の一つに
 
「助詞の使い分けがきちんとできていない」
 
というのがあるように思います。
 
例えば、「AでBを割る」という文章を見て A÷B と B÷A のどちらなのか分からなくなってしまう人です。
あるいは、分からないというより、「どっちでもええやん。」と適当に考える人もいるようです。
 
このタイプの人は、かなりの確率で普段の喋り方もいい加減です。
 
主語述語が無いのは当たり前、助詞を使わずほとんど単語の羅列だったり、「アレ」や「コレ」や指示語のオンパレードだったり……。
 
こんな状態では、きちんと問題文を読めるわけがありません。
身に覚えがあるという人は、算数力向上のためにも、まずは正しい日本語を身につけて、普段からきちんと喋れるようになりましょう。


2016年5月16日  6:35 PM |カテゴリー: 馬渕

前回は、後漢(国名)の許慎(きょしん)が西暦100年ごろ『説文解字(せつもんかいじ)』という最初の辞書をつくり、その中に「たまへん(玉部)」はあっても「おうへん(王部)」はない、ということをお話ししました。

その許慎より1000年以上前、

つまり今から3000年以上前に、初期の漢字は生まれていました。

私たちが使っている、漢字のご先祖(小篆)のご先祖(金文)のご先祖(甲骨)です。

亀の「甲」羅や牛の「骨」に刻まれていたので、「甲骨文字」と呼ばれています。

許慎は、甲骨文字を目にすることも、その存在を知ることもなく、『説文解字』を著しました。

もちろん、許慎も後漢のころにわかっているだけの資料と知識を動員しました。

「王」という字形を許慎は、「天地人の三才を貫く意を示すもの」としています。

王は天地の秩序者であると考え、三本の横画を上から天、人、地を表し、縦画の一本がこの三者を貫いている、字形であると解釈したのです。

これは許慎のころからの伝統的な「王」の観念を示しています。

しかし、甲骨文字の「王」  の研究から、もともとの形は「鉞(まさかり)」であることが明らかになりました。

大きな鉞の頭の部分のかたちで、鉞は王様のシンボルとして用いられたので、鉞の形をもって王のことを指すようになりました。

では、「玉」はどうでしょう。

「玉」は三つの玉片をひもを通してつづった形です。昔の中国の人は腰からそういう飾りを下げていました。美術館などで運が良いとみることができます。

ちなみに「全」は腰にしめる革帯から吊り下げた玉の形で、宝玉のそれぞれの部分が完全に整った状態の事をいい、「まったく、すべて、ととのう」の意味となりました。

つまり、フルセットでこのような形になる、アクセサリーを腰につけていたのです。おしゃれさんですね。

このようにして、いまでは近しい形の「王」と「玉」が、漢字が生まれたてのころは別の形であったということが最近になってわかってきました。

これも、考古学上の殷墟(殷の都 いんきょ)の素敵な発見と、とっても偉大な歴史記述者(司馬遷)と、名もなき人々(写本記者)の頑張りと、かっこよくておっかない研究者(白川静)のおかげなのです。
 
では、この甲骨文字発見にまつわるお話はまた次回。


2016年5月13日  2:25 PM |カテゴリー: 堀口

お気に入りの一眼レフを旅行中に落とし、無駄に重い望遠レンズと一緒に使えないカメラを持ち運ぶはめになった島田です。  
   
   

ええ、重かったですよ、一眼レフ。スマホでバシャバシャと撮影しまくる若者と、私は違うのさ!と粋がって使っていたはずが、旅の最中に落下して……昇天して……、重い重いお荷物になりました。そして、スマホで写真を撮影する方々を、何て機能的でスタイシッリュなんだろうと羨ましく見ていました。  
  
   
   
   

ええと、何の話だっけ。   
そうそう、道具。広辞苑によれば、道具とは、「物を作り、また事を行うのに用いる器具の総称」だそうです。  
  
  

さて、道具といえば……(古畑任三郎のマネ)
「道具を使う動物」。  
国語の問題集などで、たびたび見かけることがありますね。(え?ない?)  
いろんな文章があると思いますが、私の思いつく限りでは、かなりベタベタな内容になっています。   
  
   

パターン1  
道具を使うのは、鳥か猿の仲間。  
  
  
 
パターン2   
道具を使うのは、エサをとるため。   
  
  
  
 
      

まあ、異論もあるでしょうが、このパターンを知っておくと、初見の文章でも「あっ!知ってる!」と思えるかもしれませんよ。


2016年5月12日  11:00 AM |カテゴリー: 島田

まいど、理科の瀬川です。
 
今年は2016年です。
そして、今から250年前の1766年にイギリスの化学者ヘンリー・キャベンディッシュが水素を発見しました。
って、前に書きましたね……
ということで、その水素の発見から100年後の1866年(今から150年前)には何が……。
 
実は、スウェーデンの発明家アルフレッド・ノーベルがダイナマイトを発明した年なのです。
ノーベルといえば、「人類に対してもっとも貢献したと思われる人物に賞をあたえて欲しい」という思いで作られたノーベル賞で有名。
ここ数年、日本人受賞者が増え、同志社系列をはじめ、多くの学校で出題されています。
もちろん、内容は難しいのでつっこまれませんが、受賞者のフルネームくらいは言えるようになっておきたいですね。
 
さて、ノーベルは化学者でもあり実業家でもあったのですが、やっぱりダイナマイトを発明した発明家としての印象が強いです。
発明家は、数々の失敗と試行錯誤を繰り返し、誰も考えなかったものをゼロから生み出す。
「生み出したこと」はあくまで結果で、「数々の失敗と試行錯誤を繰り返し」ってところがすごいと思います。
 
勉強方法を探るって点では、我々だって発明家であるべきなのです。

どうやったら、覚えやすくなるだろう?
どうやったら、効率良く勉強できるだろう?
どうやったら、よりわかりやすく伝えられるだろう?

 
今ある方法がベストとは限りません。
「これで完璧」「もうこれ以上のものはない」となめてかかってはいけません。
もう少しがんばれば、もう一歩先へ、そしてもっと良いものにたどり着けるかもしれません。
 
【ノーベルの言葉】

1000個のアイデアがあったとしても1個実現したら良い方だ。

【エジソンの言葉】

なぜ成功しない人がいるかと言うと、それは考える努力をしないからだ。

 
彼らのすごさは、考える達人であったということかもしれませんね。
6年生にとっては、入試まであと8ヵ月ほどです。
入試には期限があるため、早めに勉強方法は確立すべきかもしれませんが、「これではダメだ」という方法をダラダラ続けるのはもったいないです。
進化を考え続けた8ヵ月間にしたいですね。


  1:00 AM |カテゴリー: 瀬川

教室長の山下です。
 
さて、小学生に限らず中学生の中にも「歴史は面白くない。」「歴史が全然わからない。」という人がいます。そもそも歴史が好きな人とそうでない人は、どこでその差ができてしまったのでしょう?
 
 
私自身歴史は好きですが(といっても、普通に好きなだけであって、マニアではありません)、なぜ好きになったのだろう?と思い返してみると、
 
・親の影響
これが一番大きいでしょう。両親ともに歴史小説・時代小説を読む人だったこともあり、物心ついたときから家の本棚には、歴史小説・時代小説がたくさんありました。(日本文学全集や世界文学全集もあったのですが、こちらには興味を持たず、ほとんど読みませんでした。いまだに実家の本棚に眠っています。)
特に時代劇好きの父親の影響もあり、
『水戸黄門』『遠山の金さん』『大岡越前』『暴れん坊将軍』『必殺仕事人』『銭形平次』『鬼平犯科帳』『子連れ狼』『大江戸捜査網』『柳生十兵衛』『剣客商売』
など有名どころの時代劇はもちろん、大河ドラマ、年末年始に放送されていた大型時代劇なども、再放送を含めて必ずと言っていいほど見ていました。
その結果、正しいか間違っているかは別として、昔の生活をイメージしやすくなります。また、時代がかぶっていたりするため、多面的な理解もできました。さらに様々な知識がつくことで、小説や時代劇、ひいては歴史の勉強が今まで以上に面白くなっていくという好循環をつくれるのです。
 
 
何でもそうだと思いますが、好きになるには、触れる機会を増やすことが肝要です。別に「本を読め」、「時代劇を見ろ」と言っているわけではありません。何でもいいのです。簡単なところでは歴史マンガ、神社仏閣巡りもありますし、京都に住んでいる人であれば、歴史上の有名な事件があった場所や建物に行ってみるでもいいと思います。最初は面白くないかもしれませんが、何度か触れ続けているうちに、いつのまにか好きになっていますよ(きっと……)。
 
 
勿論、ほかにも歴史を好きになるきっかけはいろいろあるはずです。大切なのは、歴史が嫌いだといって避けるのではなく、積極的に関わることです。
 
 
『歴史にどんどん触れよう!』


2016年5月10日  1:00 PM |カテゴリー: 山下

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